ペニーというわんこの名前、アメリカではけっこうポピュラーなようで、とくにミニチュアピンシャーにつける名前ではトップの座を占めるという。
そんなこととは露知らず、写真一枚から受けた印象をもとにつけた名前だった。
やっぱし俺たちって笑っちゃうほど平凡な人間だねえと苦笑しあった。
平凡はつまらないが、世間にひっそりと埋もれて暮らせるというメリットはある。
こんなに平凡なやつなのに、警察官が家にやってきてトリシラベを受けたことがある。
学生時代、千葉県我孫子(あびこ)市に住んでいたときのこと。
川崎市の警察から電話がかかってきて、ちょっと尋ねたいことがあるのだが今夜は在宅かと聞いてきた。
いったいどうしたことでしょうとお尋ねたら、川崎市内でおきた強盗事件の犯人が緑色の原付バイクで逃走したため、市内の同色のバイクの持ち主を片端から洗っているのだという。
たしかにわたしのバイクは緑色で、川崎ナンバー。その前年まで暮らした川崎から我孫子に移って以来、ナンバーの変更をしていなかったからだ。
川崎から我孫子までは60キロあまり、電車だと2時間ちかくの旅をしてまで来るというのだから、こいつぁマジだぜとなってびびった。
高校時代に多少のオイタはしたものの、警察のご厄介になったことはなく、「場数」を踏んでいないぶんウブだった。
親に電話してこのことを知らせたら、おまえ強盗犯なのか?そうでないならガタガタする必要ないやろと言われて少し落ち着いた。
だがわけのわからん難癖つけられて冤罪被害者になってはかなわんという計算がはたらき、玄関に大きなラジカセを置いて録音体制をとった。
夜9時ころだったと思う。私服の警察官が二人でやってきた。テレビドラマで見るごっついおっさんを想像していたが、現れたのは30代中盤のシュッとしたお兄さんたちだった。
玄関で立ち話。
「夜分すいませんねえ。電話でちょっとお話ししましたけど、先週中原区内で強盗事件がありましてねえ」
「はいぃ・・・」
「でまあ川崎ナンバーの緑のバイクの持ち主さんに総当たりさせてもらってるわけでしてね、先週水曜の夜はどこにいらっしゃいました?」
「す、水曜・・・ あっ、えっと、渋谷で飲んでました」
「どなたかご一緒でしたか?」
「バンドのメンバーと。練習終わってから久しぶりに行こうかってことになって・・・」
刑事さんは落ち着いた手つきでメモをとったあと、念のためバイクを見せてもらっていいかと尋ねてきた。
喜んでお見せしますとも。だけど俺のバイクが強盗犯のと同じモデルだったらどうなるんや?
イチマツの不安をかかえながら駐輪場へ移動。刑事さんは、バイクのナンバーをちらりと確認するなり口を開いた。
「どうもどうもご苦労さまでした。緑のバイクの持ち主さんには念のためぜんぶ当たっておく必要ありましたもんでね、いやいやご面倒かけました」
メモ帳をポケットにもどすなり刑事さんたちはいそいそと去っていった。
「わたしはシロってことでいいんでしょうか?」
そう尋ねる機会を逸してモヤッとしたまま、わたしは彼らの背中を見送った。
部屋にもどると、玄関にラジカセが置いてあった。
ピンポーンが鳴ったらまず録音開始してドアを開けるつもりだったのに、すっかり忘れていた。慣れないことをしようと思ってもうまくいかない。
不自然な位置に置いてあるラジカセを見て、刑事さんたちは何を思っただろう。
それは1980年、モスクワ五輪がボイコットされ、竹の子族とルービックキューブが大流行、王貞治選手が引退し、ジョン・レノンが殺害された年のことだった。
自身の名誉のためにいっておくと、あれ以来警察から事情聴取あるいはそれ以上のコトをされたことは一度もない。
と思う。
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