わたしにとっては苦労の少ない国際結婚だといったが、それにはまだいくつか理由がある。
そのひとつは家庭内公用語が日本語であること。
仕事を通して知り合い、業務上の会話を日本語でしていたことが始まりというのもあるが、なんといってもわたしの英語力がきわめてフツーの日本人であり、一方で妻の日本語力が優れていることから、個人的な関係になってもコミュニケーションは日本語であり続けた。
妻は大学に入るまでは外国人まるだしアクセントの日本語で、漢字もよく知らなかったらしいが、努力の末に読み書き話すを習得し、いま彼女が話す日本語を聞いて外国人だと見破るひとは千人にひとりもいないだろう。
ちなみに記念に受けているべえといって日本語能力試験に挑戦したところ、最高レベル「N1」にあっさり到達。問題を見せてもらったら、日本人にとってもかなりの難問が続出しており、これに一発合格とは恐れ入り谷の鬼子母神。
夫婦関係にはいろいろあって、互いの言語を完全には理解できなくともセンスでしっかり通じ合えるカップルもいるだろうが、うちはそういうタイプではなく、あーでもないこーでもないと言葉を尽くしあってようやく相互理解が深まるという不器用さゆえ、日本語を公用語にするしかないのでありますよ。
この状況、わたしにとってはたいへん都合がよろしいが、妻にとっては完全アウェイ状態。
なんでかというと、普段のコミュニケーションはほぼ問題ないものの、喧嘩になったとき、頭に血がのぼった状態で言い分を100%まくしたてることができるのはわたし、そうはいかないのが妻。そこはやっぱり外国語だから限界がある。
だがアメリカ女性の多くは夫婦喧嘩において口を閉ざして我慢するなんていうヤワな精神を備えておらず、なにより発言の機会が奪われることは最悪の事態と認識しているから、夫の言い分を一方的に浴びるばかりで十分に応戦できないことに凄まじいフラストレーションを感じている。
「ちょっと黙って私の言い分にも耳を傾けなさい!」
鬼の形相でそう叱られたことが何度もある。さぞかし苦しかったことだろう。ごめんね。てか最近も一発やられたけど。
このようにして、言語生活における苦労をひとりで背負いこんでいるのが妻であり、なんの不自由もなくのほほーんと受益者しているのがわたしということになる。
国際結婚コミュニティーではぴかいちのズルイやつだろう。
ひとから「アメリカ人嫁なんて最高。英語タダで教えてもらえるやん」などと言われることがあるが、そういうことは一切おこなわれていない。
夫婦・家族というのは教える方も教えられる方も辛抱が足りなくなりがちで、「なんで覚えられないの?!」とか「もうっ、うるさい!」とかケンカになりやすく、そういうのが嫌だからかな。
ただしバングラデシュへ行ってからは、昼間仕事で英語とベンガル語をしゃべりまくる妻が、帰宅後に脳の回路の切り替えがうまくいかず、英語混じりになることがあり、それはリスニングの訓練になるから歓迎している。
言葉をめぐる妻の苦労は、私だけが相手ではない。
わたしの家族・親戚を相手にしたとき、あまりにも普通に違和感なくしゃべるからだろう、彼女が外国人であることを忘れてしまう人がけっこういる。
ガイジンガイジンしていない彼女に親近感をもってもらえることは嬉しいが、悪い意味で日本人あつかいされて「えっ、そんなこともわかってないの?」的な攻撃をされることが少なくない。
彼女が金髪碧眼だったらそうもならないだろうが、これはハーフの宿命みたいなものかな。
ともあれ無体な日本人あつかいがちょっとした会話のなかの出来事だったらいいが、妻の尊厳をそこなうような無神経さで来られると
うっとこのヨメはアメリカ人でんねん!
と怒鳴りたくなってしまう。
妻にはそういう苦労をかけているわけだ。
「今度からメッチャたどたどしい日本語にしたら?」と何度か提案したことがあるが、妻は苦笑いして首を横に振るばかり。
フェアな戦いとは思えないからだろう。
つおいなあ。
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